« 因幡屋1月のおしばい | メイン | JACROW#14『パブリック・リレーションズ』 »

2013-01-09

新国立劇場『音のいない世界で』

*長塚圭史作・演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 20日まで
 開演直前、長塚圭史と近藤良平が舞台から客席に挨拶。クリスマスと新年に行っていたそうだが、年明けから9日とあってはこの挨拶はどうも・・・とにかく始まりますのアナウンスとなった。観客を舞台に迎え入れるための演出効果を考えているのか、「リラックスしてどうぞ」の軽いものなのか、どちらとも捉えられない曖昧なものであった。
 昨年秋に長塚は大作『浮標』に挑んだ。4時間を越える上演に観客が気構えているところを、開演前、出演俳優がほとんど素の状態で舞台に並んだ。中央に立った長塚はやわらかな口調で客席に語りかけ、緊張を解きほぐしながら気持ちよく背筋を伸ばして舞台に向き合えるよう、こちらの心身を整えてくれたのだが。

 物語のおよその流れ、枠組みは公式サイトや公演チラシに記されているとおりである。
 タイトルが示すように「音」がひとつのモチーフになっている。しかも「音のない」ではなく、「音のいない」という、音の擬人化というか、何かここにも意図が潜んでいるらしい。

 公演チラシは異なるデザインで4種類もある素敵なもの、俳優はどなたも粒ぞろい、乘峯雅寛の舞台美術は魔法のおもちゃ箱を開けたようで楽しく、伊藤佐智子の衣裳は、靴や帽子、肩掛けやマフラーなどの小物にいたるまでとても可愛らしい。

 しかしながらとうとう最初から最後まで、この舞台のどこをどうみればよいのかわからなかった。客席にいて居どころがないというのは大変心許ないもので、わずか1時間25分のあいだに何度も時計をみることに。

  「何を伝えたいのか」「何を訴えたいのか」などと言うのは作者のセンスをわかろうとしない野暮の骨頂で、自分の融通の効かないこと、好みが狭量であることの証明であろう。
 が、やはりこの問いを抱かずにはいられなかった。
 作者は何をこの舞台の肝にしたいのか。物語なのか俳優なのか、舞台ぜんたいの「つくり」なのか、舞台に何となく漂う雰囲気なのか。新国立劇場はどのような判断と期待をもって本作をラインナップに加えたのか。まことに身も蓋もない言い方であるが、作り手の無限の可能性や劇世界の変容、主宰者の懐の広さを受けとめる度量が自分にはない。

 本作が2013年初の観劇なのだがこのような次第であり、実に困惑の芝居はじめとなったのであった。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.blog.ocn.ne.jp/t/trackback/51116/23969070

この記事へのトラックバック一覧です 新国立劇場『音のいない世界で』

コメント

コメントを投稿

最近の記事

カテゴリー

  • お知らせ
  • アート・文化
  • テレビドラマ
  • 俳句
  • 映画
  • 本と雑誌
  • 舞台
  • 舞台番外編
  • 閑話休題
  • 音楽

OCN 検索